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…そんなこと、分かってる。
高雄には、恋人がいるんだから。
泣くだけだって、…未来がないんだって分かってても、止められないから、苦しいんだ…。
気付けば、私の頬には、涙が一筋流れていた。
震える唇を、きゅっと固く結ぶ。
「実を言うと、加賀は俺の大学の先輩なんだ。
と言っても学部は違うし、向こうは俺を知らないだろうけど、彼は、有名だったからね。
加賀が名家の生田家に入ったということも、在学中に噂になった」
私の涙を人差し指で拭いながら、向上先生は続ける。
「…あのパーティーで会うまではさ、忘れてたんだよ俺も。
だけど、一目ですぐ彼だと分かった。
そして、傍にはあんたがいた。
…驚いたよ。
あんたの加賀を見る目が、…明らかに『女』のものだったから。
酷い話だ。
…加賀は、あんたには何も、言っていない」
向上先生の手が、私の頬を包むように添えられる。
まるで、壊れ物を扱うかのように。
「…このまま全てを知ったら、あんたはきっと、堪えられない。
だから、俺が、救ってやるよ」
「…っ」
最後の一言は、私の耳元で囁かれた。
私は恐怖なのか緊張なのか、…体を動かせないで、ただただギュッと目をつむっていた。
…高雄が、私に何も言っていない…。
隠していることがある、ということ。
なんの根拠もないはずなのに、向上先生の言葉一つ一つに、…胸に鉛が落ちていく。
錆びて苦く、黒いそれは、私を沈めていくようだった。
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