夜行の蜂

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*  ヤトはその無愛想な少女がやって来たときのことを、いつも鮮明に思い出せる。なぜかと問われたなら、似ていたからだと答えるだろう。イザヤという名の少女が、幼い頃から師とともに野山を馳(は)せ、友は山の獣ばかりだった己の姿に、よく似ていたからであると。  ヤトはここよりさらに北の村の、貧しい百姓の末の子として生まれた。土は痩(や)せ、冬の厳しさは言葉では尽くせぬほど苛烈を極める寒村だった。やがて彼は数え年で四つになる前に家を捨てた。力の強い兄たちから与えられる暴力と、貧しさゆえに向けられる憐れみと侮蔑の目、収まることのない飢えと、固い土に鋤(すき)を入れるため腫れては潰れる肉刺(まめ)の痛みから逃げ出した先。一晩の寒さをしのぐため忍び込んだ廃屋にいた男。その目。夜の闇にあっても爛々(らんらん)と輝く、ヤトは男のその目に惹かれた。己れもそれが欲しいと請うた。そのためならばいかなる労苦も厭(いと)わぬと、まさしくその労苦からこそ逃れるために家を捨てたはずの少年は、男へ懇願したのだった。  ヤトを拾った男は厳しく、賢く、冷酷で、そしてこの上なく優しかった。まるで山のようであったとヤトは彼を思い返す。二人は来る日も来る日も山に入り、学び、畏れ、感嘆し、喜びそして苦しんだ。ときには足裏が血まみれになるほど歩くことも、飲まず喰わずで数日を過ごすこともあった。鋭い枝が皮膚を切り裂くことは茶飯事(さはんじ)であったし、熊や猪(しし)といった獣だけではなく、ときに鹿(しし)のような狩るべき獲物ですら彼の前に脅威として立ちはだかることもしばしばだった。幼いヤトにとって世界とは己と己の師と、そして山のみを指す言葉であった。  
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