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イディンの者なら誰もが知っている、『竜の歌』の冒頭が唱えられる。だが、そこには何の抑揚もなく、感情もない。この歌の間にも光は増し、竜の体を覆っていく。竜がその身を緩やかに震わせた。
そして人よ、震えるがいい。
栄光はイディンより消えた。
誉れはその手より落ちた。
カラックは眉をひそめた。これは『竜の歌』ではない。たしかに替え唄だが、そこには元の高揚する言葉が一つも無い。
――いや、無いどころか、これは……
裸の身に何を覆うのか。
今やイディンに嘆きだけが上がる時。
頭を垂れて、その身を捧げよ。
――何だと……?
「眠れ、宵闇は褥(しとね)、銀河は夢路……」
閃光が竜の体のここそこで起き、その度に暗闇の皮膚の奥から白銀の輝きが戻ってくる。ただれた翼と抉られた背も、あふれるほどの光の粒が集まり、その形を戻していく。明らかに竜は再生していた。
竜の歓喜がカラックにも伝わってくる。しかし彼の心は重くなるばかりであった。竜の様子に比べ、歌の言葉があまりに暗い。
再び歌が唱えられ、これは一段高い調子で、一気に紡がれた。
イディンは叫びに満ちている。
喜び、悲しみ、そして怒り。
人よ、決して怒ってはならない。
イディンの報いは、その身に及ぶ。
怒りは火のように焼き尽くし、
憤りは返る万本の刃となる。
そこには永劫の滅びだけがある。
そして人よ、震えるがいい。
栄光はイディンより消えた。
誉れはその手より落ちた。
裸の身に何を覆うのか。
今やイディンに嘆きだけが上がる時。
頭を垂れて、その身を捧げよ。
眠れ、宵闇は褥、銀河は夢路。
……
竜の喜びの叫びが上がり、白銀の溢れるほどの閃光が放たれた。それを見届けると、アシェルは頭上で合わせた手を解き、そのまま掌を竜に向け大気に言葉を刻んだ。
「――竜は去った!」
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