迷い

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 桐原朱美は同期入社の女子社員だった。 「ねえ、さっきは何だったの?」  彼女は休憩室のソファーで足を組み替えながら訊いて来た。  残業を厭わず、仕事に打ち込んだ甲斐あって、彼女は管理部の部長補佐に昇進していた。  副部長の役職者は別に居るので、彼女の立場は実質的には部長の秘書と言えた。会議に同席する事はあっても、外部との交渉に於ける裁量権はない。 「うん。ちょっと屋上に忘れ物をしたもんだからね」  他に上手い理由を思い付かなかった。 「何を?」  彼女はカップコーヒーを啜りながら僕を視た。 「それが……上着を置き忘れたと思ったんだけど、思い違いだった」 「ふーん。あなたらしくもないわね」  彼女は、バッグからタバコを取り出した。  20年前、朱美と共に資材部へ配属になった。  バブル崩壊と言われ、高度成長期を過ぎたと言われながらも、空港建設に関わる資材調達の仕事は例外だった。  折しもISO認証を取得すべく会社が動き出した時だ。  課長に呼ばれ、ISO適合マニュアル策定のメンバーとして参画するように指示された。
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