迷い

3/5
前へ
/64ページ
次へ
 僕も彼女も共に文書作成の能力とパソコンを操る腕を買われての起用だった。当時はパソコンでワープロソフトを使える者が少数だったからだ。  技術者の書いた原稿を校正し、ワープロで清書・作成する作業だが、文脈を把握し、整えるには仕事の流れと現場の実態を知らねばならぬ。  本社マニュアルと工場間マニュアルの整合性を図ることが急務となり、二人して各工場のマニュアル作成の担当者や各部署の部署長を訪ねて歩いた。  その間、定形業務を外して貰ったとは言え、外部取引先との交渉には同席を指示された。新人で定形の業務にさえ不慣れな上に更に新たな仕事が課せられて、生活は仕事に忙殺された。  そんな中、彼女とは時に残業を早めに切り上げて、居酒屋で愚痴を吐き出し、将来の夢を語り合う事もあった。  文書を作成しては、摺り合わせの会議が開かれ、矛盾を摘出し、手直しを繰り返して、半年がかりで外部審査に堪える品質マニュアルが漸く完成した。  桐原朱美は言わば戦友だった。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

57人が本棚に入れています
本棚に追加