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以上のことから私は、
イギリス語原文である【ピーター・パンとウェンディ】を翻訳するに至って、「ピーター・パンが成長した子供たちを間引く」という表現を
「ピーター・パンが大人へと成長した子供を殺す」という解釈を含む旨で翻訳したことをここに記すこととします。
エヌ
「はあ…やっと終わった」
後書きを書き終えたエヌ氏は使い古されたペンを机のわきに置き、深いため息をついた。
一つの文の訳し方だけで、随分と苦労をさせられるものだ。
途方もなく面倒な作業だが、『名作を汚すな』だのと、へたに批難されても困る。
信用第一の商売なのだ。
全ての翻訳に もっともらしい理由をつけるのは当然、というのが社会の常識となってしまっている。
従わなくては、この業界で生きてなどいけない。
人に触れる機会が多い本ほど、様々な価値観をもって見られるから批難の数や対象も膨れ上がる。
それも世界的な童話となると、尚更だ。
高給だと聞いて引き受けたが、こんな面倒な作業二度としたくないものだ。
ピーター・パンが子供を殺すことを批難されないようにピーター・パン症候群の人の例をあげ、ピーター・パン症候群の人から批難されないよう憐憫の文を書き加える。
批難を避ける理由づけに、本文の訳の何倍もの時間と労力を掛けなければならないとはな。
まあ、現代のこの流れは、翻訳に限った話ではないがね。
まったく、表現の自由という概念は、いったいどこへ消えてしまったのだろうか・・・・・・
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