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私は未だかつて、父の涙を見たことが無い。 あの参観日の日以来、父が再び刑務所に戻ることもなく、私は父と母と、ずっと三人で暮らしている。 同じ屋根の下に暮らしているので、ある意味においては当然なのかもしれないけれど、父とは毎日顔を合わすし、会話も交わす。 あと数年で、あの参観日から20年の時を迎える。 それくらい長い間、私は父とずっと一緒にいたのだ。 それにも関わらず、私は父の涙を見たことがない。 数年前、まだ私が大学生だった頃の話だが、父は癌を患い、手術を受けた。 それは12時間にも渡る大手術で、その後も数日間、父は生と死の間を彷徨った。 手術の成功確率は20%、その事実は医師からはっきりと父にも伝えられていた。 場合によっては、生きて手術室を出ることができないかもしれないなどという現実も含めてだ。 おそらく、その時の父は、不安でならなかっただろうと思う。 私も母も、父と一緒に、その医師の宣告を聞いたわけだが、涙を堪えることができなかった。 ただ、当の本人である父だけが、しっかりと胸を張り、医師の残酷な宣告を聞いていた。 おそらく、そのとき、父は不安で仕方がなかったに違いない。 一番泣きたかったのは、間違いなく父なのだろう。 だけど、そんな時でも、父は決して涙を流さなかった。 取り乱すこともなく冷静に(あるいはそのように装っていただけなのかもしれないが)、声を圧し殺して泣く母の背を撫で、声を圧し殺すことさえできない私の頭を笑顔で優しく撫でてくれた。 まるで赤鬼のような、恐ろしい容貌の私の父を見て、もともと血も涙も無いような人間なのだなどという下らない考えを抱く人間もいるのかもしれない。 実際、父がそんなふうに噂されているのを、私は過去に何度か聞いたことがある。 だけど、私はそんな父の娘としてはっきりと言わせてもらう。 父はとても優しい人だし、誰よりも温かい血を持っていて、誰よりも優しい涙を持っている。 誰が何と言おうとも、それは決して曲げることのできない真実だ。 父は、ただ、涙を流さないだけだ。 どんなに辛いときでも、必死に歯をくいしばって、涙を堪えているのだ。 長い時間の流れとともに、私は28歳になった。 そして、未だに父の流す涙を見たことがない。
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