第一部・悠子と巧

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五曲目は武満徹の自身のレクイエム的な作品である最後の作品「森のなかで」であった。この曲は三曲に分かれており、第一曲は武満の友人であるコーネリア・フォスの絵葉書の風景をモチーフにしたもので「ウェインスコット・ポンド」という曲で、突然森の中に迷い込んだかのような三拍子を基本とする循環するモチーフが、ホ長調やト長調が支配する中にあって、ニ短調の悲しみ、ロ短調の孤独といった音を含めて刻々と表情を変えた、ゆったりとした曲想であった。第二曲は初秋のカナダのトロントにある閑静な住宅街を包むように舗道に沿って走る潅木の茂みである「ローズ・デール」であった。初めはゆったりと湧き出るアルペジオの連続から、不協和音を経てアルペジオが上昇下降してクライマックスに至る曲であった。最後の第三曲はサンフランシスコ郊外にあるミュアーという篤志家によって保護された、巨大なセコイアの聳える深い森「ミュアー・ウッズ」で、先のふたつの楽章よりは内省的なテーマだったが、恐ろしいほどにドラマチックな楽章でもあった。平穏な祈りに満ちた変ニ長調のテーマに、それとは別の不安なテーマが幻惑し、一旦ホ長調の和音で終わろうとするが、不気味なアルモニコスによる鐘の音やテンポを変えて循環する第一曲の悲しい歌のモチーフが旋律を終わることを許さなかった。それでも曲は、やがて不安で激しいアルペジオと和音を経て、再び安らかな祈りに到達して音楽は終焉した。
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