第一部・悠子と巧

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続いてはパラグアイ出身で生涯ボヘミアンとして中南米諸国、時にはヨーロッパまで転々とした天才的ギター奏者のアグスティン・バリオス、通称「マンゴレ」(これは伝説的なパラグアイ先住民首長の名である) の豊かな霊感の発露である「郷愁のショーロ」と「パラグアイ舞曲」であった。「郷愁のショーロ」はバリオスの亡き友人に捧げられた曲で、悠子は寂しさのあるこの曲が好きだったが、武満も酒が入るとよく荘村にこの曲を所望したものだったという。そして、「パラグアイ舞曲」は明るさのうちに南米特有の風情を湛えた美しい曲であった。最後に現代キューバを代表する作曲家で指揮者の、指を痛めるまでは超一流のギタリストであった、日本でも人気のあるレオ・ブローウェルの一九九0年に作曲したギターのための「ソナタ」である一楽章「ファンダンゴとボレロ」、二楽章「スクリャービンのサラバンド」、三楽章「パスクィーニのトッカータ」があり、一楽章の後段にはベートーヴェンの「田園交響曲」の一節が現れて、なかなかユーモラスな面も窺われた。どの曲も荘村の師匠のナルシソ・イエペスから受け継いだ独特の間が感じられた演奏だった。そして、荘村はアンコールに応えてギターの詩人といわれる大萩康司が有名にした曲の「11月のある日」を含めた三曲を弾いて、舞台を降りてコンサートは終わった。
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