来訪者

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 彼女が言うには、昨日2人で酒を飲んでいる時に僕の部屋を彼女が掃除する約束をしたらしい。どういう経緯でその約束に辿り着いたのかは謎だった。  「掃除機借りますね?」  頭の中で記憶を探している僕に彼女は聞いた。どうやら僕の返事の前に掃除機をクローゼットから取り出し、コンセントをプラグに挿しているようだった。なので形だけの返事をした。  恐ろしいほどの手際の良さで掃除を進める彼女は僕よりこの部屋を分かっているようだった。 「そのテーブルに上がっているノートは何ですか?」 手を休めずに聞いてきた。  それは僕の知らない物だった。  見覚えのないノートには僕の字で毎日の日記が書いてあった。僕は日記なんて書いていない。それにも関わらずこのようなノートが存在している事に少し恐怖する。  真っ先に開いた一番新しいページには昨日の出来事が書かれていた。その内容は僕に衝撃を与える。  今日起きていることが昨日のページの内容と同じだった。隣人の里仲と言う女が来て、記憶の無い僕に約束の説明をして、部屋を掃除している事が書かれている。  昨日だけでなく数ヶ月に及ぶページの量が同じ内容だった。  そして記憶などない事に気づいた。昨日も一昨日も先週も先月も僕が何をしていたのか覚えていない。恐らくこのノートは真実だろう。  それはまるで、時間の大きな流れから拒絶され、この色褪せた部屋で区切られた時間のみを幾重にも繰り返し過ごしている悲劇の人間を物語っていた。理解も及ばない状況に心の奥深くでは焦燥に駆られ、身体中が汗を発する。おぼつかない足取りでベッドに腰掛けるが状況は何も変わらない。  目の前に里仲と名乗った女性が立つ。この女性の名前が里仲という保証はない。この不毛な記憶のない毎日は彼女が引き起こしているのかもしれない。  そうだ。全てが繋がる。彼女が犯人だ。
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