40人が本棚に入れています
本棚に追加
事態を理解した俺はNに「俺は知らない!俺じゃない!」と叫ぶように言いましたが教室中からの罵声に俺の声はかき消されました。
Nに詰め寄ろうとする俺をそのクラス連中は羽交い締めにして廊下へと突き飛ばしました。
もう一度俺ではないと言いましたが、「死ね」「帰れ」「もう学校来るな」の言葉が返ってくるだけでした。
仕方なくじぶんの教室に戻ることにしました。
脱け殻の様に教室に戻ってきた俺を待っていたのはにやついたIでした。
その顔を見たとたん突然のことに呆然としたままだった俺に激しい怒りが込み上げてきました。
Iの襟を掴み何故知っていたなら教えてくれなかったのか問い詰めましたが、Iも俺のことを疑っているらしく自業自得だと言い放ちました。
怒りに我を忘れ殴りかかろうとする俺を止めたのはちょうど給食の時間の為やってきた担任の教師でした。
その担任は何故そうなったのか理由は聞かず、給食の時間だからと俺たちを席に着かせました。
そんな気持ちのまま食事などできるはずもなく俺は給食に手を付けませんでした。
給食時間が始まってから10分ほど経った時でした。
おもむろに立ち上がった担任に廊下に出るよう指示されました。
廊下に出た俺に待っていたのは担任からの頬への平手打ちと「お前みたいな奴がいると飯がまずくなる」という言葉でした。
俺の中学校生活の終わった瞬間でした。
次の日から俺の一年間の引きこもり生活が始まりました。
この一年間の事は書く事はできません。
書きたくないのではなくあまり覚えていないのです。
無理にこの時のことを思い出そうとすると未だに暗い闇に引きずり込まれてしまうかもしれないので。
最後に世の中には死んだほうがいい人間なんていないと言う人がいますが、実際には生きる価値の無い人間、生きていることで害を為す人間が存在します。
俺はその存在を軽蔑します。
数年経ってからの事ですが、この誤解が解け、謝罪に来てくれたI君、N君ありがとう。
少し救われました。
そして教師たちから問題児と名指しされ、その兄弟として教師から虐げられた妹に謝ります。ごめんな。
でも今もまだ誤解したままの人も少なくありません。
そういう意味ではこの時の出来事はまだ終わっていないのかもしれません。
負は消えないのです。
最初のコメントを投稿しよう!