三章:夏叶[誓いの夜]

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あれは確か、翠が中学1年生の夏、とさえちゃんは言い、話してくれた。 その日は梅雨明け間近の熱帯夜で、夜の学校に忍び込んだ帰り、翠の父さんがどこから取ってきたのか分からないタチアオイを、両手いっぱいに抱えて帰ってきたらしかった。 汗みどろになりながら、子供よりも無邪気な笑顔だったらしい。 ―どうだ! これ― ―きれいだろ― ―翠にぴったりだと思ってな。冴子にも似合うと思って― ウチの妻と娘が1番可愛い、なんて、鼻の下を伸ばして。 大量のタチアオイを見た翠は、呆れ顔をしながら、でも、嬉しそうに笑ったらしい。 ―この花、たっちゃんみたい! 背がでかくて、カッコいいじゃん!― ―あたし、大人になったらたっちゃんの嫁になる!― ―ブーケはこの花にしよう― ―たっちゃん、大好き― 「もう、私も歳なのかな。最近は、たっちゃんの顔も忘れちゃいそうなの」 そう言って、さえちゃんは少し泣き虫になった。 「翠、たっちゃんのお嫁さんになるのが夢だったんだよ」 「うん、知ってる」 初めて会った日、さえちゃんが教えてくれたから。 「タチアオイは、吉田家の特別な花なの」 「そうだったの? ごめん、知らなくて」 「やっぱりきれいな花」 そう言って、さえちゃんはしくしく泣いた。 年上の女の慰め方がバカなおれには分からなくて、とりあえず、さえちゃんの頭を撫でた。 「泣くな、さえちゃん」 しかも、そんなありきたりの言葉しかかけてやれなかった。 さえちゃんはしばらく泣き虫を続けたけれど、突然、人が変わったように元気に笑った。
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