小学校時代から現在に至るまで

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途中、専門学校をやめたくて担任の先生に 授業についていけないからやめたい って話した。 でも先生は 『本当に授業なん?違う理由、あるよな?』 完璧に見抜かれてた。 授業も真面目に聞いてたし成績も悪くはなかった。 正直授業楽しかったし。 毎朝、学校に行きたくない、辞めたい って家でダダこねて泣きまくってた ある日お父さんから 『お前、いい加減朝泣くのやめろ。お母さん、お前が行った後毎日泣いてんねんぞ』 知らんうちにお母さんを悲しませてた。 その事実が本当に辛くて辛くて… お父さんはお母さんを守りたくて、お母さんは私を守りたくて、私は自分自身を守りたかった。 上手くいかないものだね。。 体育祭の時期、先生の進めでクラス全員応援団に入れさされた。 グループに分かれての練習の時、私のグループには仲の良い子がいなかったけど練習に参加した。 『よく仲良い子おらんのに練習これるよなぁ、考えられへんわ』 って別の子に話してる人がいた。 練習いかんかったらいかんかったで文句言うくせにそれはないやろ… って思いながらも言われるがまま練習した。 その頃バイトもしてて、そこの二個上の男の人から告白された。 自分のこと好きとか言ってくれる人がいるなんて考えられへんくて、まだ好きではなかったけどOKした 人生初の彼氏。 優しかったし、その人のおかげで男の人への恐怖も少しなくなった。 病気も理解してくれて、病院に一緒についてきてくれたり、心のケアもしてくれてた。 送り迎えもちゃんとしてくれて、メールもマメにくれた。 『俺から振ることは絶対にない』 とも言ってくれたし、嫉妬深さや不安症も理解してくれようと頑張ってた。 お母さんにも 『あの子とつき合ってから丸くなったね、明るくなった』 って言ってもらえた。 SADと言われてから円形脱毛症にもなったけど、治療で何とか治った。 本当に当時は彼の存在が大きかったし、依存しまくってた。 わがままもたくさん言ったケド、家族みたいに少し話し合えばすぐ仲直りしてた。 だからかな、欠点があってもなかなか離れられなかったのは。。
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