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――ハァ、ハァ、ハァ。
闇夜。
狭く汚い路地に荒い吐息がこだまする。
雨上がりのせいか、水溜まりが多く、湿度も高い。
足元に絡みつくような薄い霧が垂れ籠み、視界は良いとは言えない。
生ゴミの鼻につくような匂いも立ち込めている。
みすぼらしい格好をした男が、水溜まりに足をとられながらも全速力で走っていた。
荒い息遣いの中、時折、唾を無理矢理飲み込む音が、どれだけ生命の危険に晒されているか、容易に想像することが出来る。
彼の抱え込んでいる右腕は出血多量の為か、既に言うことをきかない。
男の走った後には、赤い血痕がくすんだ石畳の上に、シミのように残る。
そして血痕は雨水と交ざり、輪郭が滲んでいった。
彼はフードを深くかぶり、後ろを気にしながら、何かから必死に逃げてるようだ。
突然。
稲光のような閃光が走る。
乾いた銃声が風を切り、辺りを不気味な残響音で包み込む。
不幸にも鉄の弾丸はフードの男の細い右足を貫いていた。
男はバランスを崩し、地面に倒れこんだ。
小刻みに震える顎。
流れ落ちる汗。
彼の吐息が虚しく響く。
「手間かけやがって……」
背後の暗闇から黒いサングラスをかけた男が現れた。
30代程だろうか、顎には少量の髭を蓄えている。彼の右手には、銃口から煙が立ち昇る、44口径のマグナムが握られていた。
「お前が持ち出したもの、返してもらおうか」
サングラスの男は、顔を緩ませながら脅した。
撃たれた男は倒れた際に、フードが取れ、痩せこけた頬と白髪混じりの頭髪をあらわになった。
彼は顔面蒼白になり、痛みのあまり、喋れず、悶え苦しんでいるようだ。
汚い灰色のズボンは、止めど事なく赤い鮮血に染まってゆく。
「直ぐに楽にしてやるよ、ハハ……」
サングラスの男は銃を再び構えた。
そして――。
男は楽しむかのように。
歌を歌うかのように。
何度も何度も。
鈍く光る銃の引き金を引いた。
抗(あらが)う羽虫を徹底的に
捻り潰すかのように、
彼は至近距離から滅多撃ちにしたのだった。
転がる薬きょうの音がサングラス男の気分を高揚させた。
彼は高笑いせずにはいられず、心地良い硝煙が彼を包み込む。
あの青ざめた顔の男はもう、生きてはいないだろう。
濃い血の匂いが辺りに広がる。
「……可哀想に」
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