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その日、酒場にいた俺は――酒場にいるのだから当たり前だが――酒をあおっていた。
辛い仕事の疲れを癒すのは、大ジョッキの冷えたビール。これが1番だ。
ま、昨日から無職だから、仕事してないけどな。
「マスター、もう一杯!」
ダンッと空になったグラスをカウンターに叩きつけるように置くと、黒いベストにズボンと小洒落た格好のマスターが、白い目を向けてくる。
「今日が約束の日ですが、ちゃんと払って頂けるんでしょうね?」
まるで、どこぞの執事と言わんばかりの澄ました顔と口調でそう言われたが、俺にはこう聞こえた。
『さっさと金払って消えやがれ、この野郎』。
いや、聞こえた気がするだけだ。幻聴だ、気にするなっ。
「マスター、心配すんなって。今まで貯めた金をたんまり持って…」
言いながらフトコロを探り、全財産が入った重い銭袋を取り出そうとして、その手をピタリと止める。
「あら?」
無かった。袋自体が、無い。
…なぜに?
「ほー、どれくらいあるんですか?」
興味深々顔で身を乗り出して来るマスターに、俺はとりあえず輝く笑顔を向ける。
「えと、確かにあったんだけど、無くししちゃった…みたい?」
小首を可愛く傾げて許して貰おう戦法は、残念ながらマスターには効かなかった。
「2度と、来やがらないで下さいね。このアホ野郎!!」
今、アホ野郎って言ったか? いや、気のせいだ。
なぜなら俺は、アホなんかじゃない。
世界一カッコイイ男!
ツカサだ!!
猫みたいに襟首を掴んで店の外に放り出されながら、「大丈夫、つまみ出される姿もカッコイイぞ」と、自らを励ます。
目の前でバタンと荒々しく扉が閉められ、石畳の上に座り込む俺の髪を、海風が優しく撫でた。
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