プロローグ〈懐古〉

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パタン、と本を閉じる音がして 「続きはまた明日ね。」 と、女性の優しい声が空気に染みいるように室内に響いた。 部屋の暖炉の火はパチパチッと燃える音をたてながらゆらめき、暖かな光を放っている。 室内はいかにも落ち着いた静かな夜、といった雰囲気だった。 「そんなぁ・・・。」 静けさを打ち消すように不満げな言葉を発したのはベッドで横になっていた少年である。 彼はまるで非難するかのような視線を自分が横たわっているベッドの側の椅子に座る女性・・・母親に向けた。 すこし、というより今にも泣き出しそうに潤んだ瞳で。 対して母は意地悪そうな微笑を浮かべて、愛しい息子に言い放った。 「夜更かしなんてしていては"彼"のような立派な英雄になれないわよ?」 この言葉は少年にとって死刑宣告・・・というのはいささか、むしろかなりの誇張表現だが彼にとってはそれだけの重みがあった。 なにしろ彼は本気で本のなかの英雄に憧れていたのだ。 英雄になれない、という言葉に少年は本気で泣きそうになっていた。 「うぅ・・・でも・・・。」 泣きそうになりながらも果敢に抵抗を続ける少年だったが母は息子に切り札である一言を言い放った。 「ならこれからは自分で読むことね。」 今度こそ死刑宣告だった。幼い少年はまだ字を読むことができなかったのだから。 この言葉をうけて彼もようやく母への抵抗を諦めることを考えだした。 「明日も読んでくれる?」 「いい子にしてくれるなら読んであげるわ。明日も、明後日も・・・あなたが自分で読めるよになるまでね・・・。」 「じゃあ、字を覚えなかったらずっとお母さんがよんでくれる?」 少年はしてやったり、と得意顔である。 「あらあら・・・困ったわねぇ。」 暖炉ではいまも火が煌々とゆらめいていた。
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