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ビン底メガネの向こうにあの鈍色の空。
曇った町並み。
今日も辺銀(ぺんぎん)はたった一つの場所を目指してひたすら歩く。
通いなれたはずの町並みなのに、いつも歩くたびに不安定だった。
この道に慣れるということは、辺銀にとってありえない。
天変地異が起こったとしても、人間が滅びたとしても、地球が爆破されたとしても、
もし自分が死ぬようなことがあったとしても、
それは絶対的で変わらないのだ。
それは人間の顔に目が二つ鼻が一つ口が一つ耳が二つついているのと同じくらい至極当然のことである。
辺銀という人間ただ一人に関して言えば。
辺銀が毎日慣れない同じ道を歩いてまで、
通い続ける場所は図書館だった。
入り口に、中川町図書館の名が刻まれているが、
それの名前は間違いなのだと辺銀は豪語する。
「違うんですよ、先生。僕が通い詰めているのは中川町図書館なんかではありません。日本のすべての図書館は、月色図書館っていうなのです。僕の視界の中のどんよりした世界に月明かりのごとく優しい光を注いでくれる唯一の存在ですからね。図書館は。本当は月光図書館にしたいところですが、お生憎様、僕は光を感じることができないのでね。月色図書館で妥協いるのですよ。月色はなんとなく僕にも感じることができますから。」
私が、図書館の名を間違うとあらば、辺銀はその口調に自虐の調子を含めて答えた。
辺銀はロマンチストでも詩人でもない。
どちらかというと現実主義の頑固者。
だからこそ近所の図書館を中川町図書館だと認めない。
彼には文字が分からないから、中川町図書館という文字が読めない。
それを恥ずかしく思っているのか、
それとも自分の目で見たわけじゃないから中川町図書館という名前を認めないのかは定かではないが、
彼はともかく図書館の名前にこだわった。
月色図書館こそ、辺銀の心の支えであり生きがい。
何より唯一の人生における楽しみであった。
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