「感動」に生きれば「死」も怖くない

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私は、我々の真の人生の目的は「感動」だと考えています。 私の持論上では「幸福」や「不幸」はこのように置き換えられます。 「幸福」とは「感動」を得た事によるアクションであり、「不幸」とは「感動」を妨げられた事によるアクションなのです。 つまり、これら「幸福」や「不幸」は全て、「感動」を通さないと得られないものという事です。 物事は、飽きてしまう、続かないと先に言いました。しかし、「感動」を人生の目的にしている場合、飽きてしまうからこそ多くの「感動」に巡り逢えるんじゃないか、続かないからこそより沢山の「感動」を知る事が出来るんじゃないかと思えてくるのです。 また、我々には「死」があります。通常我々は「感動」を複数回繰り返す事で必ず「飽き」の状態になってしまいますよね。 そんな状態のまま、仮に永遠の命を与えられていたとしたら我々は「感動」がどんどん乏しくなりつまらなくなってしまいますよね。 「死」とは、そんな「飽き」を一度クリアにする作業なのです。ですから、「死」は我々にとって必要不可欠なものなのです。 我々は「感動」する為に生きています。 貴方の今のその状態が正に「感動待機状態」ですから、そこで何かしら楽しみを感じるだけで、もう既に人生の目的は達成された事になるのです。 そして我々は「記憶」する為に生まれた訳でもありません。「記憶」を司る脳はあくまで人生の目的である「感動」を果たすが為に用意された、いわばツールなのです。 人間は思い出を大切に出来ますから、より深い感動を得られるのです。 我々の「感動」を妨げるものがあれば、出来るだけ排除し、他人よりも珍しく、新鮮で、奥深い「感動」を得られるようにしていきたいですね。 「幸福」を人生の目的にすれば疲れます。 「感動」を人生の目的にすれば小さな一つ一つの出来事にもゆとりのある満足感が生まれます。 こういった考え方で人生を生きてみるのもいいかと思いますので、良かったら参考にしてみて下さいね(*^ー^)ノ
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