因みに

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因みに、我々にそんな人生の目的を与えた者は誰なのかを教えます。 それは物質です。 スピリチュアルをあまり信じない傾向にある中で、一つの概念に辿り着きました。 私(貴方)には間違いなくココロ(意思)がありますよね。そのココロ(意思)は一体どこからわいてくるのかを考えてみたのです。 結局のところ、私の体は全て「物質」で出来ています。故に、私というものにココロ(意思)があるのだから、私を形成するものにもココロ(意思)があるという結論が出てきたのです。 大体の事は私の初期の作品である「神などいらぬ仏などいらぬ」でも書きましたが、物質が宇宙に生まれた当初は、目的もなく、永遠なる飽和状態(飽きた状態)でした。そんな中で物質が互いに接触を持った事で、外的刺激を得られました。 まったくの飽和状態の中の外的刺激は物質らにとっては大きな「感動」だったのです。 そんな彼らは、人生ならぬ物質生の目的を「感動」とし、長い時間をかけて、この宇宙に生命体を創造してきたのです。 そんな物質が生命体から得られる事の例として ①常に細胞が入れ替わる「代謝」というのも、多くの物質がその生命体の一部となってはまた違う者に交代し…という感じで常に「感動」を供給し続けていると考えます。 ②我々が睡眠時に見る夢ですが、一般的には「記憶の整理」と言われています。睡眠中にもコップ一杯の汗が排出されますが、物質らが意思的に記憶の調整をし、余分な「感動」をコップ一杯分の水分が外へ排出してしるのかもしれません。 ③食物連鎖もまた、「物質」がある生命体からまたある生命体へと移る行為でもあります。その均衡をば、神ならぬ宇宙に散々する物質が意思を共有しあって創造してきたと考えます。 我々の真の支配者である「物質」の意思によって、この世界は「感動」を常に供給できるように設計されたと考えてみたのです。 進化論かつ唯物論信仰者として、これを強く信じている為、我々の人生の目的が実は「感動」なのだと自信を持ってここに書き込んでいるのです。 まさに、「神などいらぬ仏などいらぬ」ですね(*´艸`)
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