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去年はふたり並んで歩いたこの道を、
今年わたしは、ひとりで歩く。
一陣の風が通り過ぎた。
……あ、春のにおい。
先週までは、吹き抜ける風に肩をすくめながら、早足で歩いていたはずなのに
今日はコートのボタンを開け放ち、背筋は自然と伸びている。
周りの景色を見回せる余裕が出来ていることに、私は少し驚きを感じていた。
春の暖かな陽気の力だ。
ふと、道沿いの木々の枝に目が留まる。
「……あっ」
思わず声が漏れた。
先週は茶色一色だった、寒々しい大木たちに
紅みが差しているのを見つけたのだ。
もう、蕾がふくらんでいる。
こんなごつごつした、みっともない木なのに
こうして毎年けなげに、季節の変化を告げるのだ。
この木々が主役となるのは、長い一年の中で
たったの一週間だけ。
……それでも、人々はそれを待ち焦がれる。
その季節になると
誰もが足を止めて、その花の美しさを讃え
その儚さを惜しみ
また次に咲く季節を待つ。
私は頬を優しく撫でる風に、そっと囁くように呼びかけた。
「……お母さん。
見てる?
……もうすぐ、桜が咲くよ」
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