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……母は、それからふた月後に、静かに息を引き取った。 眠るように穏やかな表情だった。 死に化粧を施された母の顔は 美しかった昔の面影を称えていて 私は一生分流したはずの涙を、また畳に零した。 そして、また次の春がやってきた。 去年はふたり並んで歩いたこの道を、 今年わたしは、ひとりで歩く。 蕾を見つけたあの日から 私は毎日ここへ通い、枝を眺めていた。 ついに今日は、満開になった。 ふいに、ざざぁ……と風が吹いて、花弁を空高く舞い上げる。 薄紅に包み込まれるように感じられた。 ……桜が、私を取り囲んでいる。 なんて、美しい……。 息をするのも忘れそうだ。 綺麗すぎて、怖いくらい。 艶やかさは、妖しいほどに。 ――――……子、春子……。 遠く、どこからか声が聞こえる。 鈴の音のように、高く、柔らかく。優しい声が。 それは、私を呼ぶ懐かしい声。 風に舞う桜の花弁の勢いは、ますます増していくように思えた。 まるで桜色の霧のように、目の前の景色を覆い隠してゆく……。 もう少し。 もう少しだけ、声を聞かせてよ。 私はひとり、桜吹雪の中に佇んだ。 いつまでも、いつまでも佇んでいた。 -桜 完-
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