1,まどろっこしい

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精一杯生きるとは、どういうことだろう。 人生一度しかないのだから精一杯生きなさい。 昨日爺先生にそんなことを言われた。 テレビの中の物静かな調子で話す人間が、 生きるということは、全速力で走ることです。 なんて言っていたがそれはどういうことなんだろう。 人生は一度しかない、そんなの一般常識である。 しかし私は思うのだ。 何故一度しかないとわかる? 一度死んで起きたら、違うどこかで第二の人生が始まる、なんてこともあるかもしれないじゃないか。 どうして人生が一度しかないと言い切れるのだろう。 人生が一度しかないなんてことを言う人間たちが何故、精一杯生きる、なんてことを言うのだろうか。 自分たちも今現在進行形で生きているはずの彼らは、何を基準に一生懸命生きる、なんて言うのだろうか。 まだ、一度の人生もやり終えていない 私と彼らは同じはずなのに、何故あんなに偉そうに胸張って、精一杯に生きろなんて言えるのだろうか? 精一杯生きている気でいても、 実際は五割の力しか出していないかもしれないし、 生きるなんて面倒と思って、生きることをサボっている人間でも、それがそいつの十割の力なのかもしれない。 「そんなの、屁理屈ですよ。」 昨日の夜、そんなことを思って夜遅くまで寝れなかった私に対して、辺銀は一言屁理屈だと言った。 な、な、な、なんだと? 「そんなこと考え始めたらキリがないですよ。そもそも精一杯、なんて言葉があやふやなのです。精一杯生きるってどういうことだ?そんなこと考え始めたらキリがないですよ。努力する。走る。勉強する。これらのような、身近なことに精一杯をつけて、精一杯努力する。というならばまだわかりやすいものの、生きる。なんてそれだけで人生のテーマにする人が存在するほどに、意味があやふやなものに、あやふやな意味の精一杯を付けたら、あやふや過ぎて何がなんなのか分かりにくくなるのは当り前です。」 “あやふや”が多すぎて、辺銀の回答が私の頭の中であやふやになる。 「そもそも、先生が爺先生に精一杯生きろ、なんてことを言われたから、先生はそれに反発してそんなことを考えたんじゃないですか?じゃないと先生が生きるなんて巨大なことを考えるはずないですよ。」 「そんな、私だって生きることについて考えたことは…あるぞ。」 「例えば?」
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