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「ばいばい。」
ほんの数秒前までは俺の彼女だった女が嗚咽を漏らしながら、その短い言葉を言った。
古い扉がキーと高い音を立ててゆっくりと閉じる。
前は、扉の閉じる前に腕を掴み「もうしない。」と土下座をしたのだが、今思うと本当にみっともない話だ。
今回は、何故か体が動かない。
しばらく呆然と立ち尽くした後、玄関を離れサヤが選んだ花柄ののれんをくぐりリビングへと足を踏み入れた。
すると、良い匂いが鼻をくすぐる。
コンロには、味噌汁が入っているであろう鍋、炊飯器に炊きあっがたご飯。
机にはラップのかかったサラダとから揚げ。
仕事から帰宅し疲れている体を動かして、いつものように一生懸命料理している姿を頭にうかべると心が痛んだ。
俺が手を伸ばしたのは、料理ではなく煙草。
オイルが無くなりかけのzippoで火を付けて大きく煙を吐き出すと、ショックを受けたサヤの顔が頭の中をぐるぐると駆け回り、まだ長い煙草を灰皿へ投げ入れた。
「汚い。他の女を触った手で触らないで。」と、言ったあの目が頭を離れない。
普段の柔らかい表情からは想像出来ない顔であったからだ。
「汚い」「汚い」「汚い」…
あの声が頭から離れず煙草の吸殻が入ったままの灰皿を壁へ投げつけると、ガラス製の灰皿は見事に砕け、床にはガラスの破片と吸殻が散らばる。
悪いのは自分なのに、自己嫌悪に陥りそのまま頭を抱えてソファーの倒れこんだ。
「サヤ…。」
今度こそ、もう帰って来ないことはわかっていた。
「ごめんな。」
意外にも、眠りに就くのに時間はかからなかった。
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