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どのくらいの時が経っただろうか。
随分前に部屋の中へ運ばれてきた苦しげな表情の義姫。
産婆に見ていてもいいと言われたものの、なんとなくいてはいけないような気がして部屋のすぐ前の板張りの廊下に座り込む。
絶えず聞こえてくる母の呻き、手伝う周りの者たちの掛け声。
その場にいない籐姫にも緊張が伝わってきて汗ばむ手のひら、ばくばくと暴れる心臓がうるさい。
隣に誰かがそっと座り込む気配に、籐姫は顔をあげた。
「とう、さま」
隣にしゃがむ輝宗は笑みを浮かべ、ただじっと其処にいる。
あとすこしで肩が触れそうな付かず離れずの絶妙な距離。何を言わずとも、そこは輝宗の想いが十分に溢れていた。
「かあさま、くるしそうです…」
「ああ、出産は苦しいものだ。けれど辛いわけではない」
どういう意味か、と不思議そうな表情で父を見上げる彼女の瞳を真っ直ぐに見、輝宗は語りかける。
「腹を痛めて懸命に産んだから誰よりも愛しい。愛する者に会うためだから、決して辛くなどない。
義姫に会ったら、顔をよく見るといい」
とても満たされた表情をしているはずだ。
そういう輝宗もやはり誕生が待ち遠しいようで、そこはかとなくいつもより落ち着きがないようにみえた。
籐姫は初めてみたそんな父がなんだか面白かったのか、くすくすと小さく笑った。
「はやく、あいたいな」
長く、少し癖のある鷲色の髪をさらりと揺らし、籐姫がそう呟いたときだった。
一際大きな声が上がった後。少し遅れておぎゃあ、と元気な赤子の産声が聞こえたのは。
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