~決闘~

4/14
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
この思想を導入した首相は、 今の首相から五人程前になる。 その時の首相の名前は鍵宮信一(かぎみやしんいち)。 俺の父だ。 父が首相になった時、政府与党内には三つの大きな派閥があった。 松島栄作(まつしまえいさく)率いる松島派。 工藤蓮(くどうれん)率いる工藤派。 そして、桐原泉水(きりはらせんすい)率いる桐原派だ。 首相になってからも、父は彼等の言うことに耳を傾けねばならず、 言わば相談役として裏から政府を操ろうというのが、 彼等3人それぞれの目的だった。 そんな体制に父は嫌気がさしていた。 三人が三人違うことを言う中で、 それぞれの面目を潰さぬよう、 顔を立てながら政策を進めることに違和感を抱き、 権威の衣を羽織っているのは自分であるに関わらず、 その権威を他人の手によって食い荒らされ、 ただの象徴、 ランドマークとしての存在と扱われることが我慢ならなかった。 そうして彼は、公布当初、治安維持法以来の悪法と呼ばれる法律を作った。 その名も『決闘法』 概要は先程述べた通り、 いざこざが起これば、勝敗がつくまで闘わなくてはならない。 というもので、競争力の向上が名目であった。 しかし、彼の真の目的は派閥の解体にあった。 そして、この狙いは成功した。 父は旧知の仲である桐原泉水ばかりの意見を聞き、 他派閥の意見を聞くことをやめた。 すると、不満を持った工藤派、松島派と桐原派がいざこざを起こした。 そして、決闘法が適用された初の例となった。 父の策は完璧だった。 桐原派を優遇することで、 工藤派、松島派に不満を持たせ決闘法を適用させる。 しかし、桐原派を優遇している時点で、 将来性を考えた議員達の多くは、桐原派に入っているので、 工藤派、松島派に桐原派に勢力的に勝つ力も無く、 結局は、議員による投票という形で敗れた工藤派、松島派は派閥を解体。 そして与党内には桐原派のみに統一され、 一枚岩の様相を呈することとなった。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!