~決闘~

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しかし、父の狙いは派閥の解体だけでは無かった。 父のもう一つの狙いとは、 悪法と呼ばれる決闘法の正当性を、国民に主張することだった。 つまり、決闘法の力で政権をもつ与党が一つにまとまり、 政権内のぎすぎすした派閥争いが解消されたというイメージを与えることで、 決闘法の宣伝とイメージの向上を図ったのだ。 この策は、思いもよらない副産物を生み出しながら成功した。 と言うのも、イメージ向上、 宣伝の効果はもちろん、 いじめ問題、 パワーハラスメント問題などにも改善が見られたのだ。 いじめられっ子は、 それぞれ団結することでいじめっ子に対抗し、 多少の喧嘩や言い争いこそあるものの、 結果的にいじめられっ子が勝利し、 決闘法に基づきいじめっ子はいじめをしにくくなり、 いじめによる自殺者が激減した。 パワーハラスメントにしても、 平社員がまとまって上司に抗議する事例が相次ぎ、 パワーハラスメントを強要しにくい体制が整った。 このことが、決闘思想に拍車をかけ、 それが持続することにより、 今ではこの危険な思想が当然となっている。 こうして、父の策は完璧に決まったのだが、 今一つだけ不可解な問題、と言うか、謎がある。 決闘法は七年前に成立した。 そして、それから半年後、 桐原派が派閥を独占することに成功した。 しかし、それから二週間後の事、 突然の大事件が日本中を駆け巡った。 その事件とは、「桐原官房長官、鍵宮総理失踪事件」 そう。 桐原泉水と、鍵宮信一は突然消えたのだ。 当初この事件は、 工藤派或は、松島派の支持者による殺人、 並びに、死体遺棄事件と想定され、調査が進められたが、 犯人も、手掛かりも、死体も出てこずに、進展の無いまま六年半が過ぎた。 俺は今でも鍵宮信一を探している。レジスタンスに入ったのもそれが理由だ。
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