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そして後日、
景紫と流音は解放されたが、犯人は新たな要求をつきつけてきた。
「工藤蓮、松島栄作の命と引き換えに、議事堂の占拠をとけ」
さすがにレジスタンスもこの条件をのむ訳にいかず、
交渉は決裂した。
後日テレビ局に工藤蓮、松島栄作を殺害する映像が届き、連日報道された。
これをきっかけに世論は一気にレジスタンスの非難に傾いた。
確かに道徳的に考えればレジスタンスの決断は仁愛に欠けていた。
その苦悩がいかほどかも考えない人々が
「抗議のしかたなら他にもある」
「工藤さんと松島さんへの恩は無いのか」
などと今更のように言い出した。
レジスタンスの士気は明らかに低下していた。
篭城戦の疲労。
世論の傾き。
指導者の消失。
そしてついに、
レジスタンス内部の殺伐とした空気に堪えられなくなった隊員達が、
投降をはじめた。
一人、
また一人と隊員は減り、
最初五百人近くいたのが、
結局残ったのは幹部ら二十名程度だった。
そこで、
その場で指揮をとっていた日野元史堂(ひのもとしどう)が決断を下した。
それは以下の内容であった。
「俺を残し、人質含め皆外に出ろ。
お前らが外に出次第、俺は自害する」
彼の強い瞳に、その他の隊員達はうなずくしかなかった。
そして、人質含めた二十五人が自衛隊の待つ外に出た。
レジスタンス十九名は確保され、
人質六名は保護された。
その数分後、自衛隊が突入した。
奥の部屋で腹を三の字に切って倒れている日野元史堂が見つかった。
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