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「いや、小切手」
「見せてみろ」
神楽は黒いベロアのジャケットから、一枚の紙切れを差し出した。
「まぁ、こんなもんか」
「少なかった?」
「いや、仕事が軽かったんなら十分だろう」
「今からはどうすんの?」
「そうだな……──お前は帰っていいぞ」
「もう終わり? 分かった……あ、勝手に行動すんなよ。前に一人で危ない目にあってんだから」
「余計な世話だ。早く帰れ」
神楽が事務所を後にすると、残った雅長は書類を手にした。「またか」と呟き、深く溜め息を吐く。
こんな筈ではなかった。ごく普通の探偵事務所であった。いつからだらうか、こんな不思議な依頼を請け負おうようになったのは。
†
「ただいま」
「あら。早いじゃないの」
「親父が帰っていいって言うからさ」
「あら、そう」
二階のベランダに出て、洗濯物を取込んでいたエミの元へ、顔を出したのは神楽であった。
「これからまた出掛けるから」
「夕飯はどうするの?」
「いらない」
神楽の声は遠くから聞こた。すでに階段を降りていたようだ。外に出て来た息子に、エミは、ベランダから「いってらっしゃい」と言うと、息子は背を向けたまま片手を振った。
数時間後、仕事を終えた雅長が帰宅したが、神楽はまだ帰ってはいなかった。
「神楽は?」
「出掛けたわよ。夕飯いらないって。遅くなるんじゃない?」
「そうか」
「今回は仕事が軽かったのね」
「らしいな」
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