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ごめんね。ごめんね。
もう何度目になるだろうか。
意味なんてないのに、あいつは何度も何度も謝ってくる。これほどにも薄く軽い『ごめんね』は聞いたことがない。
もうやめればいいのに。
というか、やめてもらいたい。
その『ごめんね』は心に届かない。それは言ってる本人にも分かってるはずだ。はずだ――とは断言したものの、自分には心を読む、なんて能力は生憎(あいにく)と持ち合わせていないので、本当にそうなのかと問い詰められれば、口をつぐんでしまうのだけれど、概ね合っていると、控えめながら主張したい。
間違えているとしたら――自分の言葉が心に届いているのだとあいつが勘違いしているのなら、あいつは相当なバカなのだろう。今すぐにでも人間をやめた方がいい。
知っている。
その『ごめんね』が癒すのは、自分の心なんだろう? 知っているぞ。
だから黙ってくれ。その言葉は聞いていて、すごく不愉快だ。そんな自己満足に付き合っている、こっちの身にもなってもらいたい。
ごめんね。ごめんね。
言葉は途切れる気配を全く見せない。自分はあと、どれくらいあいつの自己満足としか言えない謝罪の言葉を聞き続けなければならないのだろう。いや、こんなのはもう懺悔だ。いやいや、最悪もしかしたら懺悔にもならないのかもしれない。
あいつは改める気などないのだから。
だからこれは、あいつにとっての儀式なのだろう。ああ、なんだかそう考えたら無性に腹が立ってきた。畜生。畜生。
ごめんね。ごめんね。
畜生。畜生。
実のところ、この言葉がどういう意味を持っているのか、自分にはさっぱりなのだけれど、もし、仮に、許しを請うような台詞だとしたら自分は絶対にあいつを許さないのだろう。だろう、なんて曖昧にする必要はないか。許さないな。確実に。
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