地震発生翌日

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2011.03.12 朝早くに起床。 夜中や明け方にも余震がきたり地震速報が鳴り響いていたりで、よく眠れなかった。 とりあえず明るくなったので、家の中の状況を母と確認する。 父は仕事へ。 家の中はぐちゃぐちゃ。物が落ちてて足の踏み場がない状態。 でも物が少ない部屋とかはひどくはなかった。 確認後、朝ご飯を食べようとして水がでないことに気づいた。 電気なんて来ていないしガスも来てない。 ここで初めてライフラインがすべて止まっていると気づいた。 不思議と実感は沸かなかったが、母と昨日の朝作っておいたお茶で水分補給とパンを食べる。 満腹ではないけれど動けるのでよしとして、部屋の片付けに入った。 初めに一番危ないキッチンから着手。 ガラスが飛び散っているので気をつけて片付ける。 とりあえずどんどんゴミ袋に入れて片付けていった。 困ったのは掃除機が使えないこと。 細かいガラスの破片は箒だけでは取り除けなかった。 キッチンが終わる頃にはお昼近くになってた。 お昼がなんとか終わって母と近くの小学校まで行ってみた。 小学校前の自販機を見た。 電気がきていないから暗いまま。 久しぶりに訪れた小学校はたくさんの人がいた。 校庭には車が何台も止まり、子ども達は元気に遊具で遊んでいた。 少しほっとした。 体育館に向かっていたら近所の友達がいた。 直接顔を見れて良かった。 体育館を覗くと、たくさんの人がいた。 ゴザを敷いただけの冷たい床にたくさんの人が座っていたんだ。 中にはたぶん持参の毛布をかけて寝ている人も。 黒板に手書きで プールの水をトイレ用に配布します 給水車は手配しているが、今日中に来れるかも難しいらしい おにぎりを15:00ごろ配布します。 などが明記されていた。 そこで母と一端家に戻り、また3時ごろに小学校へ。 すでにたくさんの人が並んでいたが、母と並びおにぎり一つ貰えた。 温かくて凄くうれしかったし、このおにぎりを作った人達が近所の人達だと気づいて涙がでそうだった。 家に帰り温かいおにぎりをたべ、一息つく。 その後二階を見に行き、片付けは明日に回そうと心に誓った。 そして夜、暗くなるとともに布団に入る。 発掘しておいたラジオを聞いていたら、気仙沼や石巻の凄い状況が流れてきた。 その地区に住んでいる友人の安否が気になったが、あいにくメアドは知らずネットがつながらなくてもどかしかった。
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