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「琴!!俺は決めたぞ!!京へ行く!」
手にした文を握りしめ、男が立ち上がった。
唇を噛み締め、抑え切れない興奮からか頬が上気し、激しく動いた訳でもないのに肩で息をしている。
男の名は中沢良之介。
すらりとした長身に整った顔立ち。
今年で27になるが、まったく貫禄がつかず、いつも実年齢よりかなり若く見られてしまうことが最大の悩みだった。
「兄上、少し落ち着いて下さい・・・」
夢と希望に胸を震わせている兄を見上げ、向かい合うように座っていた琴が静かな口調で窘める。
彼女の名は中澤琴。
良之介とは4つ違いの妹にあたる。
「・・京だぞ・・・将軍様だぞ・・・落ち着いてなんかいられるか!!」
「兄上、お茶が零れます」
少年の様にキラキラと目を輝かせ、拳を握りしめる姿とは対象的に、琴は冷めた瞳で兄の足元に置かれている飲みかけの湯呑みと茶菓子を自らの元へと引き寄せた。
琴は兄の皿の上に残されていた食べかけの団子を遠慮なく口に放り込み、茶を飲もうと茶碗に手をかける。
しかし自分の湯呑が既に空になっていた事を思い出し、先程手元に引き寄せた兄の茶を一気に飲み干した。
もし亡くなった二人の母がこの場にいたら、はしたないと卒倒しただろう。
しかし、父親と兄に育てられ、幼い頃から道場の男たちの中 に囲まれて生活していた琴は、立ち振舞いにあまりこだわりがなかった。
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