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歩きながら財布の中から小銭を取り出そうとした瞬間、何かにつまづき、彼は前のめりで倒れそうになった。
その際には小銭も宙を舞っていた。小銭は路地にチャリンチャリンと音をたてて落ち、転んだ場所から1メートル以内の範囲に散らばった。
しかし、彼は倒れこまなかった。
「大丈夫か?」
誰かが彼の右腕をつかんでいた。
「何の音かと思って出てみたら、上の階のベランダから鉢植えが落ちたみたいだな。君、けつまづいた位でよかったね~。これが当たってたら重傷か、打ち所が悪かったら死んでいたところだよ。」
この一角にあるお店の店長なのか、その男は黒いシャツに黒いズボンといういでたちで、彼の腕をつかんだままたっていた。
「ああ、悪い悪い。腕をつかんだままだったね。」
男はやさしく微笑みながら、つかんでいた右腕をそっと放した。
「ああ、いえ、どうもありがとうございました。」
彼はいつものように無表情のままお辞儀をした。
「大丈夫かい?ケガはないかい?外に出していたことをすっかりわすれちまって。風が強かったから落ちてしまったんだね。」
上の階から声がした。5、60代の女性が心配そうに下にいる二人を見つめていた。
「あーりくさん、大丈夫だよ。これからは風の強い日は花には申し訳ないが外には出さないほうがいいかもね。」
男はここの住人と仲が良いのだろう。親しそうに話しかけ、下は大丈夫だから安心するように言った。
「ああ、そうするよ。本当に申し訳なかったね。今からそっちに行くよ。掃除もしなきゃね。」
「りくさん、いいよいいよ。この人には僕の方から謝罪しておくからさ。それよりその鉢植えが中に入れてくれっていってないかい?」
「そうだね。すぐに入れるよ。じゃあ悪いね。足が悪くてね。後はよろしく頼むよ。じゃあ、えーっと何サン?(あ、けんです)けんさんね。本当に申し訳なかったね。その人は下にあるヴァニラって店の店長なんだ。なんでもごちそうになってね。お金は心配ないよ。全部私が後で支払うからね。じゃあ頼んだよ、店長。」
「了解。また。」
彼があっけにとられている間に交渉は成立した。
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