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「長安は危険だ。お前達は先にお行き。後で会おう」
壮年の男は女の肩を掴み、その目をじっと見つめてそう言った。
男の名前は杜甫。字(あざな)は子美という。
丁寧に結わえた白髪混じりの髪を簪でとめ、冠を被せている。決して上等の着物ではないが、きちんと着ており清潔感があった。
ひょろりとしていて武官よりは文官という体格。人の良さそうな顔。人柄の真面目さが雰囲気に滲み出ている。
「気を付けるんだぞ。子供達を頼む」
女を見つめる双眸には厳しい色が注していたが、子美は女を気遣うように穏やかな声でそう付け足す。
「……貴方様は一緒に来ては下さらないのですか」
女は長い睫を伏せて呟いた。子美は首を振り、女の耳許に顔を近づける。
「霊武では、玄宗様の御子であらせられる、粛宗様が即位されたと聞く。私は粛宗様の元に馳せ参じるつもりだ。
そこで身を立て落ち着けば、お前達にも楽をさせてやれるだろう。――必ず迎えに行く」
そう、必ず。
子美はそう二度呟いて、妻を抱きしめた。
妻はその胸にすがり泣く。
その頭を撫でながら、子美は霊武のある方角をじっと見つめていた。
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