8/28
前へ
/28ページ
次へ
   頭ごしに何か柔らかい感触があった。  目を開けると、目の前には彼の顔を覗き込む女の顔が映りこんだ。  どこまでも無垢で、可愛らしく平凡な顔。彼は状況を把握する前に、その顔をまじまじと覗いていた。  やがて彼女、にこるはふっと微笑んで、「おはよう、阿修羅」と言った。 「あ、あ……」  声がかすれた。  身を起こすと、体が僅かな痛みを覚えた。 「大丈夫? まるで空から落ちたみたい」  錯綜する記憶の中で、にこるの声が心配げに彼に向けられる。  頭に手をやり、記憶を呼び起こす。  ハッとして立ち上がる。軋む体に鞭をうって空を見上げると、夜が既に更けていた。 「……っ」 「阿修羅、落ち着いて」  進もうとした彼の腕を、にこるの手が掴んで止める。 「離せ」 「阿修羅……、何があったの」  純粋に、哀しそうな顔をしてにこるが彼を見上げた。その純粋さが、今は彼をいらだたせるほかなかった。 「貴様には関係ない」  低く唸るように威嚇すると、首筋にぬるい刃があたった。それから、息がつまりそうになるほどの濃密な殺気。  横目で刃の先を見据えると、そこには赤い女がいた。  眉間によった皺と、怒りに燃え滾る赤い瞳。 「リコリス、剣をおろして」 「しかし……」 「お願い、おろして。言ったでしょう。彼は友よ。傷つけてはいけないわ」  幼い子供を諭すものでも、怒りに満ちた声でもない、純粋に、ただ淡々とにこるが言った。  不満げに、だがしかしリコリスと呼ばれた赤い女は剣を下ろして鞘に収めた。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加