1: 逃避行の日々

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即ち、俺は襲撃のあった夜にはアンケ・サルマを脱出していた。他の手は考えなかった。四十歳手前とはいえ、当時はまだ俺も若かったという事か。 長裾上着の内ポケットに最低限の旅費と手術道具、それに少しばかりの薬入れだけを忍ばせただけだ。それ以上揃える時間も荷物の余裕もない。逃亡生活に贅沢を求めたところでどうなるというのか。旅費がなくなろうと、それは着いた所で医者としての仕事をしていけばどうにかなるではないか。 以来、俺はどこに留まるでもなく、世界各地を転々としながらティオ・ハーグリップの手から逃れる旅を続けてきた。ある時は草の国ミ・ミンの穀倉地帯を、ある時は岩の国ミ・ディヴィアの山岳地帯を。 しかし、どこに行っても奴等の手先は潜んでいた。束の間の平穏を享受する事もなくはないが、日に何度も攻撃を受ける事だってざらにあるのだ。時には数日間続けての襲撃なんて事もある。今の今まで、十数年と逃れ延びてこられたのは奇跡的かもしれない。 現代世界は国際規模の治安維持機構が隅々まで整備されており、軍事先進国でなかろうと少なくとも自衛には困らないであろう程度にはテロに対抗出来るだろう。 セキュリティー技術も高度に発達し、国境一つ越えるにしてもかつてのような旅券や査証の手続きは廃止され一瞬のボディーチェックで済むようになっている。外からの脅威に対しては付け入らせる隙も徐々に埋められつつあるのだ。 だが、所詮は人間の生み出したもの、破るのもまた人間である。外からの脅威には強いとしても、国境の警備程度では内からの勢力が湧き出すのを留める事は出来るまい。侵入を食い止めたところで、侵入失くして侵略をする悪党までは根絶出来ないのである。 各地の悪党団を自らの手中に収め、自らは動かず、動くのは末端の現地組織。ティオ・ハーグリップのやり方は、厳重な出入国システムの最大の弱点を突いたものなのだ。 諸国は奴等の根絶に悪戦苦闘している。だが、そんな包囲網もティオ・ハーグリップは易々と潜り抜けていくのだ。 考えたくはないが、いずれは国家組織の内部にまで入り込んで、今の体制を内側から乗っ取る事もあるかもしれない。世界を転覆させる程の力を持ってしまったとしたら、それはどう足掻いても対抗など出来るはずがあるまい。
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