ディーヴァ

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きっと僕は、この昼下がりの雨が無ければ、出会っていなかっただろう。 その人は、パン屋の店先で困った顔をして、立ち尽くしていた、大きな紙袋を抱えて。 綺麗な人だと思った。 緩いウェーヴのかかった長い髪を、無造作に後ろで束ねている。 つんと高い鼻。少しつり上がった眉と、目尻の下がった大きな瞳。ぷっくりと小さな赤い唇。 それに白い肌。 長く細い手足は、黄色のTシャツとホットパンツから伸びていた。 少し見とれた自分の顔が赤くなるのを意識した。 まるで引力だった。無意識だった。 僕は、あらがえずに、その見えない力に引き寄せられた。 「あの……よかったら、これ」 僕は、その人に自分のブルーの傘を差し出していた。 少しの沈黙のあと、その人は人懐っこそうな笑顔で言った。 「ありがとう、少年。でも、両手が塞がってて」と、胸元の紙袋を見て言った。 綺麗な声だった。 「あの……家、近くなら送りますよ。紙袋は僕が持ちますから」 また少しの沈黙の後、その人は言った。「ありがとう、家近くなのよ。ご好意に甘えるわ」 そして、僕に紙袋を渡してきた。 僕らは、海岸沿いの道路を歩いた。 僕は彼女の荷物を持ち、彼女は傘を持ち、僕に寄り添って歩いた。 左手には道路を挟んで、砂浜が広がる。 そして右手側には、色々な店と住宅街。 まるで、テレビの中で見るカルフォルニアの様なこの町が、僕は好きだった。 夏には、サーフィン。少し離れた岩場での釣り。 よくテレビで見る、無粋な海の家など無い。 「あの家なの」 唐突にその人は右手を伸ばし、指差した。 それは、道路脇に建つ古い小屋の様な家で、長らく無人だった家だ。 ペンキも所々が剥げて、玄関には、ばってんに板が打ち付けられていたはずだ。 道路を渡り、砂浜に降りる短いコンクリートの階段を降りた。 雨を吸った砂が、しゃりしゃりと鳴る。 海は風雨で凪いでいた。 「ちょっと待ってね」 その人は、傘を畳み玄関に立て掛け、ポケットから鍵を取り出した。 確かに打ち付けられた板は無くなっていた。 「入って。散らかってるけど。荷物は、そこのテーブルに置いて」 お邪魔しますと言って、言われるままに、荷物を古い丸テーブルに置いた。
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