「いただきます。」と「ご馳走様」

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 人間は1日3回食事を摂ります。 まぁ、人によっては5回って人も居ますよね。 鬼は1日2回ですが。 その度に「いただきます。」を言いますよね。 この「いただきます」は誰に向かって言って居るのでしょう。 食事を作ってくれた人…?勿論それはそうですよね。  でもはたして本当にそうなのだろうか? 鬼は思いました。 「いただきます。」は命を戴きますなんじゃないかと。 食卓に上がる全ての食べ物は皆生きていた。 その命を絶ち我々はその命を食す。 ここに言葉の根元がある気がした。 野菜も肉も魚も皆命あるもの。 野菜だって感情は無くても、花を咲かせたり、実を結んだり、後世に子孫を残すため自ら成長している。 だから生きている。 その命を食すのだから、だからこそ、有り難みを込め、感謝の念を込め、謙譲語で「戴きます」と言うのだろう。 「ご馳走様でした」も同様。 例えどんな粗末な食事でも、生きている命を絶ち、食すのだから。 食材全ての命を無駄にしないことが感謝であり、我々に出来る最大の報いでは無いだろうか。 普段何気なく当たり前のように言っている「戴きます。」と「ご馳走様」をこれからは「命を戴きます。」と「命を無駄にせずご馳走として崇め、有り難く頂戴致しました。」と言う思いを込めて言おうと思ったのでした。 ちなみに「お粗末様でした。」と言うがアレは絶たれた命に失礼なので言わないようにしよう…。 (。_。(゚д゚(。_。ウンウン…
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