はじめに

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 二千四年から二千五年にかけて福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)でプレーし、一年目途中に打球を指に当ててリタイアするまでの間に八つの勝ち星を手にした"魔術師"リンゼイ・グーリンは、左腕からの最速が百三十キロにも満たない試合もあったが、平均百二十キロ後半の速球と、百十キロ程度のチェンジアップ、カーブのみで活躍した。  二千九年夏の甲子園でも、東農大二高の加藤綾が、その日の最速は百三十二キロ、百三十キロ以上は百十九球中僅か二球という球速ながらも、チェンジアップを効果的に使って青森山田に一失点完投勝利し、甲子園を沸かせた。四打数無安打に抑えられた青森山田の四番呉知佐勇は、加藤のストレートを速く感じたとコメントしている。ちなみに、呉に対する最速は百二十七キロ。チェンジアップやカーブを効果的に使うことで、遅いストレートを速く見せたのだ。ちなみに、加藤はプロに進んだ筒香(関東大会)と曲尾からも三振を奪っている。スピードや球威が無くとも、チェンジアップは有効なのである。  そしてこの物語は、平凡な投手でしかなかった末廣光孝が、チェンジアップと出会ったことで少しずつ運命を切り開いていく物語である。
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