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目の前で鮮血が飛び散った時…嘘だ、と思った。
誰もが顔を背ける惨状の最中、俺はただひたすら嘘であってくれと、一心に「彼女」を見つめ続けていた。
キキキとコンクリートに擦れるタイヤの音、
驚いたように見開かれた目、
怯えた表情が見えたのも一瞬の事で、その身体は勢いよく宙を舞った。
ドンっと辺りを震わせた空気の振動でさえ、ただゆっくりと、全てがスローモーションで流れていった。
「…あ…かり…!!」
ようやく絞り出した声は驚くほど小さく、弱々しい。
動かなきゃ、動け、と命じながらも、何かに縫い止められたかのように、俺の両足はなかなか動いてはくれない。
―…動けよ、早く灯の元へ行けよ、俺!!
我ながら頼りないなと、第三者的な思考で自分を見つめ返しつつも、俺は気が気じゃなかった…
二度、三度、コンクリートの上を転がる少女。
硬い地面に叩きつけられた彼女はぴくりとも動く事なく、まるで無機物な何かのように、ただじっと伏していた。
「…あか、り……あかり、灯!目ぇ覚ませよ灯!!!」
「こ、こら君、落ち着きなさい」
立ちふさがる人の壁を、無理やりにでも押しのけた。
ようやく掻き分けた人混み。
動かない足を地面から引き剥がし、何度ももつれさせながらも、灯(アカリ)と名を呼んだ少女の元にたどり着く。
いつもならほんの数歩の距離なのに、何故か酷く、遠くに感じられた。
「灯…」
譫言のように、ただ何度も灯の名を呼び続ける。
そっと握った手はまだ暖かいものの、底から湧き上がるような、あの人間特有の力強い息吹は、これっぽっちも感じられなかった。
ぽつ、ぽつり、と水滴が滴った。
さっきまでの晴れ模様とは打って変わり、空には分厚い灰色の雲が立ちこめていた。
―…あぁ、雨か…
虚ろに見上げた空。
微かに稲光が見え、どこからか雷鳴がこだまする。
「…ほら灯、雷鳴ってんだぞ?いつもみたいにさ、『お兄ちゃん怖い』って言って、しがみついてこいよ…。なぁ、あかり……灯っ」
遠くから、救急車のサイレンの音が響いてくる。
だが自身の両手に収まる小さな手はもう、ぎゅっと握り返してくることはない。
頬を伝うのは、雨粒なのかそれとも…
暑い真夏の、とある昼下がりの事だった。
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