だってあなた、

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 毛細血管は枝別れを繰り返し先へ先へと進んで行く、それは平行などでは有り得ないだろう?  横に広がり上下に重なりあらゆる形で進んで行く。  それと同じく幾重にも分岐した“もしも”は広がり進み、時にはマスクメロンの網目のように、他の軸と交差するのかもしれない。 「その交差している部分が、つまり“あの時ああしていれば”と考える瞬間なのではないかな」  そうでなければ唐突にして“もしもあの時”等と云った考えは、浮かぶものでは無いように思うのだ。 「それはあなた、後悔するからだ」 「逆だね。“もしもあの時”と思うから、後悔するのだよ」  思わなければ比べて悔やむ要素が無い。  “もしもあの時”と思い現状に安堵する場合もまた、然り。  交差する“軸世界”同士が、それぞれの世界で互いに“もしもあの時”になる。 「“もしも”の世界の経験が“あの時ああして”の発想になるのだと、私は考えている」  故に平行ではなくとも時間の進みは同じなのだ。 「それはあなた、しかし仮定でしかないのだろう?」 「だから最初から“仮定して”と言っていた。しかしながら、仮定は仮定でしかないのだよ」  結局は確かめようが無いのだから、いくら煮詰めて定義しようとも意味の無い事だ。  何故なら。 「今“私である私”が在る軸以外の“私”とは、何も共有できないだろう?」  分岐した後の記憶も感覚も何もかも、共有できないのだから確かめようが無いではないか。  共有できるとしたならば、それこそ“もしも”ができあがる。  だが“もしもこうできるなら”と思うものは。 「“もしかしたら”交差する事の無いパラレルワールドで、出来上がっているのかもしれないな」 「全て仮定でしょう」 「そう“もしも”は全て仮定。故に今迄の私の思考は全てに於いて“仮定”であり、そして“もしも”のパラレルワールドでもあると言う訳だ」  ああ、無理に理解しようとしなくて結構。  だってあなた、共有する事はできないと今言ったではないか。
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