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味方の被害は甚大だった。 30人が戦死し、数十名が重軽傷だった。 しかし、負傷者を後送するわけにはいかなかった。 なんにしても、ただでさえ兵力が不足しているのに、負傷者を後送すれば、昼の戦闘と合わせて90名近くになる戦死者と100名近い負傷者の分の兵力が失われる。 今、この戦場ではたった1人の兵士でも貴重なのだ。
だか、意外にも武器は大量にあった。 小銃にサブマシンガン、軽機関銃や手榴弾、武器はなんでもあった。 ただし、その全てがソ連製だが。 その理由は、戦死したソ連軍兵士達の装備を奪ったからだ。
皮肉だが、ソ連製の小火器は劣悪な状況下でも正常に作動する。 整備は簡単で、部品数も少ない。 野外で乱雑に扱い、泥まみれになっても故障しない。 まさに、戦場に使うにはうってつけだった。
一方、ドイツ製は射撃の精度、銃の完成度は非常に高いが、部品数が多く、野戦には不向きだった。 実際、大戦末期には半数近くの兵士がソ連から鹵獲した武器で武装していた。 私の愛銃はずっと、ドイツ製だったが、フランツはよくソ連のPPSh-41短機関銃を使っていた。
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