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宮城県民にとって女川の原発は身近だが、正直福島の原発は関心が無かった
このニュースを聞くまでは…
その原発の周囲20キロ圏内の住民に避難勧告が出された
南相馬や相馬でどれほどの津波の被害があったのか、この時点ではわからなかった
でも大なり小なりここと変わらない状況で避難しろ!と言われても…
朝食を食べながら塩釜にも避難勧告出たらどうする?
と先輩親子に聞いてみた
その答えは…
『逃げるくらいなら死んでやる!』
でした
停電が復旧しないのは断線などが原因ではなく、原発が大事になってるからなんだ、とその時は諦めました
その後のニュースで福島の原発は東電管轄とわかりやるせない思いが募りました
食後の一服を済ませ、何か必要な物の買い出しを兼ねて携帯を充電できる箇所を探しに一人で旅にでることに…
また公衆電話が無料解放されたとか…
併せて電話ボックスを探すことに…
ついでに仙台まで歩いて帰る道を探る意味でも少々遠出してみました
坂を下り国道に出る手前からまた鼻を突く磯の臭いがしてました
でも昨日よりもさらに汚泥の厚みが薄くなり歩きやすくはなってました
また何台か車が走った跡があり、その轍は泥を剥がしてくれていたので助かりました
しかし、津波に流された車や瓦礫、テレビや冷蔵庫などはそのまま放置され復旧の兆しは見えません
ふと向こうから大きなリュックを背負ったオジサマが…
情報を聞こうと話しかける
『この辺で携帯を充電できるとこは無いですか?もしくは公衆電話は無いですか?』
そのオジサマは隣町の多賀城市から歩いて来たらしく…
『この辺で充電できるとこは無いよ。公衆電話も全部津波を被ったはずだしね。俺は昨日の夜中多賀城市の市民センターで5時間以上並んで30分充電してきたよ。』
充電後そのまま寝ないで親戚宅の塩釜まで歩いてきたらしい
『よかったら俺の電話使いなさい』
思わぬありがたい言葉に一度は遠慮した
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