―其ノ壱―

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 ◇  ことわざを一つも知らないという者はまずいないと思われる。誰もが聞いたことがあり、無意識のうちに使っているものだ。長い年月を経て定着した、教えや知識を簡潔に伝える覚えやすい言葉。また、慣用句や故事等もことわざと同一視されることが多く、全てを合わせるとその数は計り知れない。  そのことわざを力として初めて発現させたのが、世村七郎。後に“言技”と名付けられるそれを初めて身に付けたのは、町工場に生まれたごく普通の七男坊であった。  言技“石に花咲く”。  意味は読んで字の如く、ありえないこと。石に花は咲かない。だが彼がその力を使えば、咲かせることができた。  ありえないことを現実にする力。一体どういう理屈でそんなことが起こるかなど、調べてもわかるはずがなかった。そもそもそんな馬鹿けた力が備わること自体がまずありえない。七郎に力が備わるというありえないことを現実にしたものも含めて、もしかすると“石に花咲く”の効力なのかもしれない。  七郎はその力を買われて政府に雇われた。戦争を止めて世界平和をもたらし、水のない国に雨を降らせ、緑のない国に森を出現させた。経済を世界規模で活性化させ、世界中の人も動物も植物も、手と手を取り合って生きていけるような世界を作り上げようとした。  実際にそれは、八割方実現した。地球には平和の二文字が溢れ、誰もが七郎を神と崇めた。  代わりに、七郎は疲れ果てていた。  親元へ帰りたい。元の学校に通いたい。いつしかそう願うようになった七郎を宥めるため、政府は両親を呼んだ。廃業寸前の町工場を切り盛りしていたはずの父と母は、丸々と太っていたという。  父は葉巻をくわえ煙を吹かし、母は体のあちこちに宝石を付けている。絵に描いたような贅沢で、それが政府にたんまり金を貰っているからだということは、子供の七郎でもわかった。  だが、それは大した問題ではない。太っていようが金持ちになろうが、父は父で母は母。彼は両親に「帰りたい」と伝えた。――両親の返事は、七郎が期待していたものとは違っていた。  世界のために頑張るのがお前の義務。神様が泣き言を言ってはいけない。私達は貴方を応援している。口々にそんな言葉を口にする両親。七郎は父と母の思考を読み取った。ありえないことを現実にする七郎にとって、そんなことは実に簡単であった。
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