一日目

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 注意した方がいいかもしれない。でもおれにはできない。何故ならこれの苦労を知っているから。あの日以降、感情が表現できなくなった彼女はせめて笑えるようになろうと必死に毎日鏡と睨めっこしていた。声も毎日ドラマのセリフなどを言って努力したが、ほんの若干進歩しただけだ。でもそのおかげで自慢じゃないがおれと沙希姉は聞き分けられるようになった。  あと彼女はマンションで、道で、学校ですれ違う人達に些細な恐怖を与える。里美は常に無表情ではあるが、それだけじゃない。生気を感じさせないのだ。瞳の色彩は溝のように濁っており、顔の表面が石で作られた彫刻に感じてしまう。  触ってみるとそんなことはなく、昔から里美の頬は触り心地がいい。むにむにするとその日は寝るまで感触を忘れられなくなるほど柔らかいのだ。 でも大抵の人は触ることはない。だからみんな変な顔をして横を通り過ぎて行くくらいなら触ってからにしろ。イメージが変わるから。まあ、触った時点で通報だがな。 「何かおかしなことでもあった?」  気が付けば里美が上目遣いでおれを見ていた。あまり嬉しくない。語尾が若干低くなったから疑問系だろう。 「ないけど」 「うそ、顔が笑ってるよ」  ああ、そうか。おれは嬉しいんだ。里美が何かに怯えていたのを。今まで里美を奇異な目で見てきた奴に言い返したくなった。里美はまだ治るかもしれない。 「そんなこと言ってないで学校行くぞ。今日は遅れ気味なんだからな」  体ごと里美から逸らして歩くと後ろから「もう、ちょっと待ってよぉ」と一サジ分の力がこもった声がした。走って横に並んでくる。見上げてくる目を見ていると不安になった。  里美の病気が治った時、それでもおれは横にいてもいいのか? …………自分でも意味がわからない心配事だった。 「さっきの私、変だと思わないの?」  唐突すぎる質問。何を基準に変と決めつけているのだか。 「思わねぇよ」 「本当に?」  死んだ魚のような目でじっと見つめてくる。瞳に吸い込まれそうな気分だった。 「里美はおれをどういう人間として見てるんだ?」  極少数の味方を疑ってどうする気だ。それともおれってそんな信頼が無いのか?
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