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突然、ポケットの中の携帯電話が鳴り始めた。
僕は携帯電話を取り出し、慌てて操作しようとしたけれど、手がかじかんでジンジンと痺れているせいで思うように操作できず、少しイライラしながらもようやく通話ボタンを押して電話に出た。
電話は美貴からだった。
「もしもし、もう着いた?」
「うん、もう着いたよ。店の前で待っているよ」
「雪が降っているから寒いでしょう?」
「ああ、手が氷のようだよ」
「ごめんなさい、私、少し遅れそうなの。ちょっとしたトラブルがあってね。だから、先に店に入って待っていてくれないかしら。そんなに遅くはならないと思うけど、30分くらいは遅れそうだから。あなたが風邪をひいてしまっても大変だから」
「わかったよ」
僕はそう答えて電話を切り、携帯電話を元のポケットの中にしまってから、店の扉を開けた。
カウンター席が6席しかない店内は、よく暖房が効いていて、冷えきった僕の身体にはむしろ暑いくらいに感じられた。
いつものことではあるのだが、客席に人の姿はなく、白髪混じりの中年のマスターがアイスピックで氷を砕いている。
マスターは僕の姿に気づくと、愛想のよい笑顔を浮かべて、「いらっしゃいませ」と言った。
僕は右手を軽く挙げてマスターに会釈してから、マスターのちょうど正面のカウンター席に腰を下ろした。
「今日はお一人ですか?」
マスターが氷を砕く手を止めて言った。
「今のところはね。少し遅れてくるんだそうだよ。店の前で待っていてもいいのだけれど、今日は雪も降っているし、ずいぶん寒いからね。身体もずいぶん冷えきってしまった。だから、先に僕だけ入って来たんだよ」
「そうでしたか」
マスターはそう言うと、握りしめていたアイスピックを傍に置き、淡いピンク色の柔らかそうなタオルで手を拭き、それから何も言わずにグラスにラガーヴリンを注ぐ。
僕がいつも同じものしか注文しないので、僕が何も言わずとも、マスターは勝手に酒を用意してくれるのだ。
そして、マスターは琥珀色に輝くラガーヴリンの注がれた、小さなグラスを僕の目の前にそっと置いた。
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