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「美味しいわ。甘くて、どこかほろ苦くて。今の私の気分にぴったりかもしれないわね」
美貴はそう言ってから、ニコリと微笑んだ。
「お気に召していただいたようで光栄です」
マスターはそう言うと、仰々しいくらいに深々と頭を下げた。
美貴はよほどそのカクテルが気に入ったのか、立て続けにグラスを傾けた。
そして、カクテルが半分ほどの量になったところで、美貴がマスターに尋ねた。
「これは何という名前のカクテルなの?」
「名前などありません。私があなた方を見ながら即興で作ったオリジナルのカクテルです。だから、お口に合うかどうかが心配でなりませんでした」
「お口にあうなどというものではないわ。私、このカクテルが好きよ。いつもこれを飲んでいたいくらいにね」
「それはありがとうございます」
マスターはそう言って、もう一度深々と頭を下げた。
僕と美貴はいつもこの店では一杯だけしか酒を飲まない。
そういう約束をしていたわけではないけれど、僕は美貴と一緒に酒を飲んでいると、一刻も早く彼女が欲しくて仕方がなくなるのだ。
それは美貴にしても同じ思いなのだろうと僕は思っている。
美貴は僕が二杯目の酒を注文しようとすると、いつも妖艶な笑みを浮かべてそれを妨げる。
そうして僕たちはいつも、店を出て、互いに互いを求め合うのだ。
美貴はグラスの中のカクテルがなくなると、いつものように、僕を誘うような妖艶な笑みを浮かべて、「そろそろ行きましょうか」と言った。
「ああ」
僕は短くそう言って頷き、ジェスチャーでマスターに店を出ることを伝えた。
僕たちが一杯だけしか飲まないことをマスターも熟知しているので、金額のかかれた小さな紙をすぐに僕に渡してくれる。
僕はその紙切れに書かれた金額を確認してから、カウンターの上に札を置いた。
その間に、美貴はコートを身に纏い、店を出る準備を整えていた。
僕たちはマスターの、「ありがとうございました」という声を背に、店を出た。
ずっと雪が降り続いていたのか、アスファルトの上に降り積もった雪は、その厚さを増していた。
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