0 生まれ落ちて死ぬまで

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 巨大な舟が空を進んでいく。それはまるで蒼天を切り裂くかのように真っ直ぐに進んでいた。遥か下方の大地に影を落とし、悠々と空を泳ぐ様はこの世界の覇者のように見えなくもない。  その舟に設置されたハッチがゆっくりと開き、舟の中からふたりの男が暴風吹き荒ぶ甲板へと現れた。  青年の眼下に広がるは、混沌を体現したかのような茶。薄煙のような雲に覆われた死の大地が、奈落への入口であるかのようにぽっかりと口を開けている。気流が耳元で悪魔のように轟々と唸り、風圧で自ずと涙が溢れる。  高度約1万メートル。酸素は薄く、日の光を遮る雲もない。手摺りに掴まっていなければいともたやすく吹き飛ばされてしまうだろう。  ここから落ちれば、死が待っている。青年は、待ち受ける死を無表情に見つめていた。 「選ぶのか、死を」  青年の横に立つ長身の男は、腰まである黒髪を風に大きくなびかせながらそう尋ねた。その表情からは何の感情も読み取ることはできなかったが、声だけは常よりも低く、どこか憂いを感じさせるものであった。 「ああ。俺は生まれたときから罪人らしいから」  人は罪にまみれている。ゆえに、日常は罪に溢れ、世界は罪で飽和状態だ。  ――何を今更……、青年は小声でそう言って自嘲する。幸い、風の唸りは彼の声を吹き飛ばした。  今更、そんな常識を論(あげつら)ったところで、己の罪が消えることなどないのに……――自嘲は嘲笑へと変貌を遂げる。  聖書によると、エデンの園において、アダムとイヴは善悪の知識の実なるものを喰らい、神に追放されたという。なぜなら、善悪の知識の実のなる木の他に、生命の樹というものがあり、2人がその実をも食べてしまうことを神が恐れたからである。  その果実は、食べれば神に等しい存在になることができるという。  ――そうだ。俺は生命の樹の果実を喰らってしまったのだ。  原罪よりも重い罪。青年はそれを背負っていた。逃れようのない罪。天網恢々疎にして漏らさず。彼は追い詰められていた。  そして、贖罪を求め、青年は今、堕ちる。 「約束も果たせなかった。それも、2回目」  青年は手摺りから手を離した。途端に風が彼を拐おうと襲い掛かる。彼は思わずバランスを崩し、よろめく。
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