1 怪異の足音

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「ああ、これは何というか……な? 分かるだろ? 実は俺の母さんの写真で……」  そんな不謹慎な嘘は通用するはずもなく、ルイの全身から一気に汗が吹き出す。やはり咲穂も大人になりきる前の19歳。こういったものに免疫はないようだ。  咲穂の動揺が軽蔑へと徐々に切り替わっていく。春から極寒の冬に季節が後戻りしたかのように。 「分かったわ……ルイがどういう人か」 「ああ、実は俺、ルイ58世で、獅子王……いや、それは8世か……海賊王と巷では呼ばれていてだな……うっ」  絶対零度を更に下回る究極の冷気。それが彼女の目から放たれている。 「なぜだ。なぜベッドが消えてコレが残る。理不尽だ。消し方が雑過ぎる。悪意を感じる。いっそのこと俺も消して」 「わけ分かんねえこと言ってんじゃねーっ!」  一悶着あった後、家族会議が開かれた。  現在はルイは大学1年の春休み中。高校のときの春休みなど雀の涙ほどしかなかったが、大学生になってみると、春休みが2ヶ月近くもあるという無礼講。  その長い春休みを有意義に使うというわけでもなく、良くいえば悠々自適、悪くいえばのんべんだらりと日常をやり過ごしていた。  ルイは父親のマルクとふたり暮らし。母親はルイがまだ幼かった頃に亡くなり、それがきっかけでルイと引っ越した。半ば逃げるように母親の出身国である日本に来たのだという。  かつてはロシアに住んでいたとルイは聞かされていた。当時のロシアはソ連崩壊直後であり、まさに激動の時代であったらしい。ただ、名前がどう考えてもロシア人と異なる辺り、いろいろと複雑な事情があるのだと考えていた。 「う~む……」  ルイをここまで育て上げた父親、マルクは唸る。精悍な顔つきにもしわが刻まれ始め、自慢の金髪も今では弱々しい細いものに変わりつつあった。  だが、いまだに衰えないガッシリとした体型、彫りの深い顔立ちは西洋人らしく、昔はモテたのだろう。
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