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この間の大震災への募金活動についての記事であったが、どうやら阪神大震災を上回る速度で募金が集まっているようである。
こうした募金活動は日本国内にのみならず世界中で行われているらしい。これには非常に感激し感謝したい。
欧米は非常にボランティア精神が発達しており有名俳優がこうした募金活動を行うことは一種のステータスであり、誇りにしている節があるようだ。この精神活動はやはりキリスト教圏に住む人々の特徴だろう。
さて、近年は「金」という単語を耳にすると、汚職、腐敗、賄賂などなど聞くに堪えない言葉ばかりが頭に思い浮かぶ。ただし、金はそれ自身だけではまったく意味を成さない。
かつてソクラテスは「その使い方を知るまで、富者の財産をほめてはならない」といったそうだ。なるほど、ソクラテスは金の価値はその持ち主によって決まることをよく知っていたらしい。だが、これはソクラテスの時代から金についての悪評に事欠かなかったことへの裏返りの言葉だろう。
人と金の関係は太古の昔から考えられていただろうし、その役割の重要性も今日まで同様に理解されていただろう。
だだ我々は未だにこの金というものを捕らえきれていないのではないだろうか。私は経済学については素人ではあるが、金は日常的に使っているしその危険性位は多少知ってはいる。しかし、私には金が一向に手なずけられない異様なものに思えてならない。
ただ笑える話は、人間が考え出した癖にこのシステムのせいで何千年も自分自身が頭を抱えているということだけだ。
しかしこうした不明瞭な金の実態を変えることができるのは人間だけである。人々がもつ善意という真摯な筆でなぞることにより金に鮮明な輪郭を与えことができるのである。この心が少しでも被災した方々の救いとなればこんなにも喜ばしい事はないだろう。
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