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今日、何となく小林秀雄の「無常ということ」が読みたくなり高校時代の教科書を引っ張り出した。何年かぶりに開いた教科書はどこか新鮮な印象を受けどうにも懐かしさを感じることはなかった。
それは何故か。どの文士の作品も一切色褪せることなくその文書に瑞々しさを感じざるを得なかったからである。
なるほど、私は今になって国語の教科書がいかに考えられ厳選した文士たちの作品であったかを今更ながら知ったようだ。当時、全く国語に興味がなかった私には知る由もないだろうが。
さて小林秀雄は難解な文で現代文の入試問題に取り扱われる事で有名だが、殆ど書店でその著作を見ることはできない。大型書店に行かなければ見つかることはないだろう。その中で、名文といわれるのが「無常ということ」である。
この中で、彼は比叡山に行き其処で一言芳談抄と呼ばれる書物の中の文章が思い出され、その情景が浮かび上がり心にしみわたったとある。
そしてここから彼の歴史観について述べてあるのだが、最後に彼は「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなければいけないのだろう。」と言っている。
「この教科書は過去の偉人たちがその一生を掛けて作り上げた結晶だ、私たちはそれを学ぶのだから敬意を払わなくてはならない。」
小林秀雄の文章を読んだ時、私は突然中学時代の数学教師が言っていた上記の言葉が思い出された。
当時、中学生の私は全く意に介せず聞き流したが今になってこの言葉の意に血液が流れた躍動みたいなものが感じられる。あの頃に比べると多少は成長したということなのだろうか。
なるほど、これは小林秀雄の言う記憶から昇華し思い出となった証であろうか。何故、この言葉だったのかは分からないが私がこれを記憶していたことは間違いない。
だだ残念なことは、思い出された時のあの感情の鼓動はやはりいまいち思い出せずにいる。感情は記憶されずにかき消されたのであろうか。
ただ私は小林秀雄の言う記憶から思い出されたその鮮明な香り、情景および思想までもが浮かび上がった時の妙な胸騒ぎを私も感じることができたかもしれない。もしそうであるならば非常に光栄なことなのだろう。
ただ知識を詰め込むだけで思い出すことを怠っていた現代人にこの重要性を説いた小林秀雄は死後30年近く経過したはずだが一向にその光明が灯ることが驚異的としか言いようがないように思えた。
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